四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

少年

少年は、体に似合わない大きな自転車に乗りながら、ゆっくり後をついてきた。
瓦礫の山になった小さな村の写真を撮っている僕に興味を抱いたようだ。

 
少年は「中国 加油(がんばれ)!」と書かれた白いTシャツを着ていた。何日も着ているのだろう、中国の赤い地図が泥で黄色く汚れている。
  僕は逆に彼に興味を覚えて、いろいろと聞いてみた。
 

 少年は13歳。中学1年生。崩れた学校に通っていたが、難は逃れた。
 たくさんの友達が死んだ。いまもまだ何人もの同級生たちが病院で手当てを受けていると言った。


「お父さんとお母さんはどうしているの?」僕は何気なく聞いた。

「お父さんはいま街へ買い物へ行っている」

「何をしている人?仕事は?」

「会社に勤めている。たぶん」

「お母さんは?」

「死んだ」と少年は言った。
 
 それ以上、僕は質問はできなかった。
  どこで死んだのか、どうして死んだのか。

  まだ地震から1ヵ月も経っていない。






僕は先週末の3日間、ひとりで四川省成都市から車で約2時間ぐらいの山奥にある村を訪れた。

多くの子供たちが下敷きになって300人が犠牲になった中学校の校舎に辿りついた。校舎の瓦礫の中に「命運」と書かれた紙をみつけて、僕は写真を撮った。

ここで死んだ子供たちのために祈ることができるとすれば、ただしっかり写真を撮り、しっかりと現場をみることだと思った。

僕は少年にカメラを向けた。

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【特別リポート】見えにくい地域の深い傷、四川大地震から1カ月
http://news.nna.jp/free/tokuhou/080513_pek/08/0616a.html