砂山の記憶
砂山で生まれ育ちました。といっても差し支えないぐらい、僕の少年時代の記憶の中には、砂山が舞台のものが多くあります。
家のすぐ近所に大きな砂山がありました。土木業者が山奥から採掘してきた砂を、セメントの材料として使う前に一時的に保管してあった場所なんだと思います。
成人してからその砂山をみても、こんなに小さかったのか、と拍子抜けしてしまうぐらいですが、当時の僕には砂漠のように広く魅力的な世界でした。実際にはテニスコート1面ほどの広さと、砂山の一番高いところは地上2階ほどの高さだったかと思います。
砂山です。ただ砂しかないんです。高く盛り上がっていたり、穴のように凹んでいたりしているだけですが、僕ら少年たちの想像力を駆り立ててくれました。
凹んだ場所は、僕らが守るべき秘密基地です。悪い敵(そんなのはいませんが、これも想像)から身を隠したり、大事な宝物(単に石ころだったりする)を隠したりします。
出っ張った山の部分は、そこに立って僕らの世界を俯瞰する場所です。展望台です。下界にいる敵(普通の大人)が砂山の近くを通過すると、僕らは「敵が攻めて来た。隠れろ!」なんて大げさに叫んで、ワーと穴の中に飛び込むのです。
砂山は、僕らが要求するどんな夢の世界であろうも、その舞台になってくれました。僕は砂山で遊ぶことがたまらなく好きでした。
大人になったいまでも、ここを舞台にした夢を、ほんのたまにみることがあります。
でも、登場する配役たちは、少年時代にいっしょに遊んでいた友人たちではありません。よく知らない僕と同じ大人たちです。
ここで何か教訓めいた、哲学的なことを言いたいわけではありません。
ただ上海に暮らしはじめてもうすぐ一ヶ月。豪華な超高層ビルが立ち並ぶ都会で、何も関係のない故郷の砂山のことを思い出したのが、僕にはおもしろく、日記に書き留めておきたくなっただけです。
クリスマスを前にして、ちょっとだけさみしいのかもしれません。そんな日もあります。