就寝前の希望製造工場見学記
希望や夢を語るのが、そんなに恥ずかしいことなのだろうか。
「希望製造工場」・・・。
昨夜、寝床に入る前、ふと、この言葉が頭の中で生まれました。
俺には夢がない。
私には希望がない。
ただ生きていればいい。
楽しければそれでいい。
こんな言葉が多いのは、誰のせいなのか?
希望は、誰かが与えてくれるものじゃない。
おのれ自身で、苦しみながら生み出していくもの。
だから、希望を製造する工場。
希望製造工場は、おのれ自身です。
*追伸。最近はいろんな文体を試みています。このブログは僕の実験工場です。ついでに、きょうから僕の部屋の真上にある部屋で、玄関ドアの修理が始まった模様です。一昨日の深夜12時すぎ、ある男がその部屋に訪ねてきましたが、中の住人はドアを開けることを拒否。怒った男は、どこからか鉄の棒のようなものを持ち出してきて、ドカーン、ドカーンとものすごい音を立ててドアを破壊し始めました。近所の人々も出てきて大騒ぎです。僕は死人が出なければいいがと案じていましたが、そのうち大騒ぎする声の塊がアパートから離れていきました。死人は出なかった模様です。でもドアは無残な姿に。上海の破壊工場でした。