四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

空白の時間

シルクロードの駅にて

 僕にもただ息苦しく、目標を見失っていた空白の時期がありました。今からたった2年前のことです。




 息苦しさとともに目覚めることがありました。
直前まで悪い夢でも見ていたのでしょう。内容はまったく思い出せません。

 天井近くで剥がれかけた壁紙や冷たさを感じさせる鉄枠の窓が、否応なく目に写ります。諦めたようにベッドの周囲を見渡し、自分が横たわる場所が日本でないことを再確認するのが、朝の日課となっていました。

 そして必ず、「どうしてこんなところへ来てしまったのだろう」という自分に対する根本的な問いが、まだぼんやりとした頭を責め立てるのです。

 重い体を起こしてカーテンを開け放つと、黄色く染まった遠くのポプラ並木がタクラマカン砂漠に秋を告げています。孤独感が胸を締め付けました。

 地方の小さな新聞社を辞め、一人中国の旅に成田を出発したのは2003年10月です。周りの人々には「取材だ」と豪語してきたものの、仕事のメドがあるわけではなく、そもそも旅自体にはっきりした目的はありませんでした。認めたくありませんが、いわゆる「放浪」の旅です。常識的に考えれば30歳を過ぎた大人がやることではありません。
 
 社会から逸脱してしまったかもしれない。現実逃避なのかもしれない。でももう、他人から何と言われようと構いませんでした。

 すべてが息苦しくなっていたのです。とにかく旅で何かを変えなければ、この先がないと考えていたのは確かでした。

 だが深刻なのは、当時の私には、何を変えたいのかすら分かっていなかったのです。より一層苦しみは増していました。


 北京から中国西部奥地の新疆ウイグル自治区の区都ウルムチまで2泊3日。ひた走る寝台列車の中、写真機材などでふくれあがった荷物から取り出し、繰り返し読んでいたのは、レバノン生まれの詩人ハリール・ジブラーンの詩集でした。出発前、長野県の実家近くの本屋で偶然手にしたものでした。
 



 「あなたの苦しみはあなたの心の中の英知をとじこめている外皮を破るもの。果物の核が割れると中身が陽を浴びるようにあなたも苦しみを知らなくてはならない。」

 「あなたの苦しみの多くは自ら選んだもの。あなたの内なる医師が病める自己を癒そうとしてのませる苦い薬。だから医師を信頼して黙ってしずかに薬をのみなさい。」
           (「ハリール・ジブラーンの詩」神谷美恵子/角川文庫から抜粋)



 言葉の一つひとつが心に沁みました。共感している自分を発見したとき、ジブラーンがいう苦しみの中に私もあることを認めざるを得ませんでした。

 「もう自分だけは偽ることはできない。私はもう一度、自分自身を真正面から見つめてみよう」。


 2日間走り続けた列車は、低い潅木だけが点々と生える荒涼とした砂漠の中にありました。そこは憧れのシルクロードでした。

 窓際に座り、隣の中国人からもらったヒマワリの種を口に放り込みます。ただ足早に過ぎ去っていくシルクロードの荒涼とした景色を眺めていると、出発以前からずっと僕を覆っていた不安が少しだけ和らぐのを感じていました。

 
 空白の時間は、僕自身をみつめる機会を与えてくれたのです。 
 
 


 (*この文章は、僕の「中国ー心声」から抜粋、加筆しました)
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