四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

ジャーナリスト廃業宣言

ウイグル族の子どもたち(和田にて

 やっぱり、僕は違うんじゃないかって、思うようになっています。

 僕は、いわゆるジャーナリストとしてやっていける人間だろうかってことです。


 
 振り返れば20年以上も前、ケツが青い中学生の頃です。いつか立派なジャーナリストになってやろうと思い、ジャーナリズムやルポルタージュの本を読み漁っては、夢をふくらませていました。
 そして実際に、地方の新聞社ではありましたが、8年もの間新聞記者として各地を駆けずり回りました。海外の取材も何度かしました。記者仲間からも「バリバリの社会派だね」と言われたりもしていました。そうした記事を発掘しては書くことも多かったのです。自分でもそう思っていましたし、そうなりたかったのだと思います。

 でも。自分の中で何かが変わってきています。社会の正義を語ることに意義を感じなくなっているのでしょうか。第三者としての立場から批判したり、議論することが空しいものだと感じているのでしょうか。
  
 新聞社を辞めて、中国に留学に来たばかりの頃、およそ半年間はブログに何も書くことができませんでした。なぜなら、僕の脳みそは「客観性」という毒に侵されていたからです。自分を殺した客観的な記事を書くことに慣らされていた僕の手は、まったく動きませんでした。自分の言葉が出てこないのです。脳みその中から、自分が語るべき言葉がなくなっていることに気づきました。

 客観性。新聞記者も生身の人間ですから、厳密な客観性なんてないことは確かなんですが、新聞記事ではやはりその人の個人の思考よりも、大上段から構えた社会的な公平、正義を語ることが読者からも求められています。あの政治家は嫌いだ、選挙に落ちればいいなんて個人の気持ちは微塵も読者に悟らされないよう、自分を殺して無味乾燥に書き上げてしまいます。プロです。

 
 だが、いま僕がやりたいのは、その物事の主体者となり、主体者として自分の言葉を伝えていくこと。自分の言葉で語っていくことです。
 


 少しずつ自分の言葉を取り戻せていけたらと思っています。
そこに必要な視点は、正義を語るジャーナリストとしてではなく、やはり生身の人間としての僕自身のものであるべきだと考えています。


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