上海で真実を叫ぶ
きょうは一人で上海の街を歩きました。街角の広場では、春節(旧正月)を祝う獅子舞をやっていたりして、人が楽しげです。新年を迎えた気分にあふれていました。
きれいなポスター。ブランド物の時計、宝石、洋服、靴・・・。日本より値の張る商品が平気で並んでいます。僕はゆっくり、ひやかすようにみて歩きました。そしてずっと感じている違和感を考えていました。
上流という思想。
ブランド物の洋服に身を包み、高級レストランで食事を摂る。摩天楼を目指さない向上心のない人間は、人間じゃない。クズだ。浮浪者なんてもってのほか、できるならこの世からいなくなって欲しい。死んでもらいたい。自分の力で成功を得たものだけが、人間と言える。ここには勝つ戦略が必要だのだ−−僕は、そんな考え方が必要な競争の世界に身をおいています。
でも、僕は思い出していました。つい3ヶ月前まで暮らしていた雲南の人々のこと。少数民族の白族の女の子は、昼間でも光が届かないボロ部屋の中で暮らしていました。家賃は一ヶ月100元(1300円)です。財布の中には20元も入っていませんでした。
ラーメン屋で働く女の子たち。毎朝冷たい水で作業をしているせいで、手がしもやけで真っ赤にふくれています。家が貧しくて、中学校すら卒業していません。でもいつも笑顔で接してくれました。僕は彼女らのことが大好きでした。今でも。
着飾った上海の街中で、僕は叫びたいような気分になってくるのです。「浮かれてるんじゃない。この世界はお前らだけのものじゃない。真実はここだけじゃない」って。
上流の思想。僕には到底、そんなものには従えそうにもありません。彼女らをクズだとみなして見捨てることなんて、どうしてもできそうにないのです。「下流の思想」なら愛せそうです。