僕の認知装置と上海
僕だけの認知装置が研ぎ澄まされる上海。
レンズが静かな街角を彷徨い、脳裏に隠された情景と出会って、僕だけの認知装置までが甦った。
まぎれもない、創造を超えた現実がこの世界に現出するのは、この認知装置のおかげだ。
神様とにらめっこする少年。カメラを構えると、神様もいっしょに身構えて、大きくブレるフレーム。
マネキンの残骸。犬の遠吠え。春節の爆竹音。すべてが現実の確かさを感じさせてくれ、僕はひとり楽しくなる。
認知装置にレンズを構えれば、何かが動くこの街。僕の正体は僕しか知らない。
きのうもまた街を歩きました。黄浦沿いの、観光名所もなにもない上海の普通の庶民が住む場所です。はっきり言ってしまえば、汚い。洗濯物が無造作に干してあったり、生ごみが足元に散乱していたりする。でも、なんだかホッとします。路地裏の暗闇に目をこらしていると、そこから死んだはずの僕の祖父がひょっこり顔を出しそうで、初めての空間に懐かしさすら感じたのは不思議でした。やっぱり僕は生まれながらに庶民のようです。
(ブログ左横のruruchans fotolifeで僕がみてきた街の写真が見られます)