四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

頑なな芯の弱さ

 いつの頃からか、信念をまげないのは強さではなく、弱さなのかもしれないと感じるようになりました。僕はずっと間違っていたのでしょうか。

 こんなにも簡単に傷つき、血を流している皮膚をみて、他人は嘲るのです。

 頑なな芯があればこそ、人は傷つきやすいもの。ゴムボールのような柔らかな心にどうしてなれなかったのでしょうか。

 生きるための頑なな僕の心が、生きようとする僕を苦しめていたのです。

 深夜、ベッドの中でいつまでも眠られずに考えていたのは、他人の強さではなく、自分自身の弱さでした。出口がみつからずに、ずっと夢の中の闇雲を走っていたのです。



 それでも、生きていくためのカメラポジションがあるとすれば、僕がカメラを向けるのは、弱さです。観察者としての僕が向けていきたいのも、やはり弱さなのかもしれません。

 時代が求めるのが強さであれば、僕はその反対をみていたいだけ。それは、正しい、間違っているという視点からの判断ではなく、ただ僕自身が居心地がいいというだけにすぎません。

 気を付かなければいけないのは、偽善は強さの中だけではなく、弱さの中にも潜んでいること。時代をみる確かな目は、どちらにも存在していないような気がしています。

 強者になると弱者をいじめる。強者が負けると、弱者がいじめる。同じことです。


 本当に信じられるのは、自分の信念を信じている強者ではなく、自分の信念を疑える弱者なのかもしれません。