四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

音の風景

 きのうは、仕事のため朝から夕方まで一日中、上海の街を歩きました。
 中国人らの話を聞いて歩きます。それをメモに取る。僕の中国語の学習歴はまだ2年足らず。すべてを聞き取れるわけではありませんが、言いたいことの方向性ぐらいならなんとか飲み込めるようになってきています。

 ずっと動きまわっていたので、ひと休みしようとケンタッキー(KFC)に入りました。ペプシコーラ(3.5元)だけを注文して、空いていた広いテーブルにつきます。

 ほんの10分ぐらいの間に店内は混んできて、僕のテーブルにも中国人の親子が相席してきました。女の子がおいしそうにアイスクリームを食べています。その女の子は、僕が読んでいる本の文字をみて、「あれ、何て読むの?きっと外国人よ」「日本人でしょ」なんて親と話しているらしいのですが、上海語なのでよく聞き取れません。

 ちょうどその時、遠くの席からはっきり聞こえてきました。日本人の男女が話す日本語です。僕からの距離は約6、7メートルもあるのに、彼らが話す「上海に住んでいる人は・・・」とか、上海という街はどうのこうのという内容が聞き取れてしまいます。大きな声でもないのに。

 中国と日本の音の風景の違い。外国にいるとはっきりその違いが分かります。日本にいると聞こえてしまう音や声も、中国にいるとまったく聞こえなくなったりします。仕方がないことかもしれませんが、言葉が違うというだけで、こんなにも外界から受け取れる情報量が違います。言葉が違うというだけで、私たち日本人が中国から聞き取れない大切なものがそれこそいっぱいあるような気がしています。自分が聞きとる能力がないからといって、そこにある事実を簡単に切り捨てていいとは思えないのです。

 もっと中国語を勉強しなければ。些細なことでも聞き取れるようになった時、僕の中に中国という世界がもっと広がり、自分自身の世界もでかくなるんだと思います。