四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

刷り込まれた青空

映画のポスター

 いつの間にか僕は、青空へ刷り込まれていたようです。青空は、中国雲南省の青空です。きょう夜、自宅に取り付けたばかりのDVDデッキで一人、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の映画「単騎、千里を走る。」を観ていて、そう思い知らされました。ちなみにこのDVDは海賊版で、路上のおばちゃんから7元(100円ほど)で購入しました。

 「刷り込み」とは生物行動学の用語ですが、例えば、卵から孵ったばかりのヒナ鳥が、初めて目にするものを親として愛情を感じることです。初めて目にするのが人であったとしても、ヒナ鳥はその人を親だと思い込み、後をヒョコヒョコとついてきます。ずいぶん昔に理科の時間に習いましたね。

 映画が始まって間もなく、場面が雲南麗江に切り替わったところで、いきなり僕は目頭が熱くなってきてしまいました。当然泣くところではありません。もし主演の高倉健さんが僕の感極まっているところをみたら、不思議に思うはずです。「ここはまだまだ泣くところじゃないんだけどな〜」。

 画像に映し出された雲南の青空。そのたまらないほどに高く、深く澄んだ青空が僕の心の中にも深く広がっているように感じました。青空に映える農民たちの黒い顔と素朴な笑顔。この雲南の澄んだ青空は、僕が中国の大地をイメージし、中国を認識するときの、母体となっているイメージなのだ、映画をみながら思いました。
単騎、千里を走る。 [DVD]
 ちょうど2年前、僕が中国語を勉強する留学の地として選んだのが雲南でした。学費が年間10万円ちょっとで済んでしまい、アパート代も月6000円程度で十分に暮らせるという安さが良かっただけではありません。なぜかホッとする懐かしさを感じさせる人々の雰囲気に強く惹かれたのだからだと思います。映画の中でもそうですが、中国語がかなり訛っていることはどうでもよかったのです。それから1年半をここで過ごしました。

 映画は進みます。監獄の中のお父さん。まだ見ぬ子どもに会いたいと、きたなく鼻水を垂らしながらむせび泣くとき、僕もみっともなく鼻水だらだらでした(ティッシュでブビーとしっかりかぎましたが)。

 やっぱり僕には、あの青空が僕の中国のイメージなのです。地方の新聞社を辞め、何かに生まれ変わってやろうと日本を飛び出し、初めて見た雲南の地が、中国でのいまの僕を生んだ母体となっている。これは「刷り込み」です。もし初めての地が上海だったら、よどんだ空の上海に同じような愛情を感じていたのかもしれません。
 でも、僕は、あの青空のある雲南で本当に良かったと思っています。