四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

眼鏡

眼鏡、メガネ、めがね

 眼鏡の似合う女性に、グッとくることがあります。知的さにカモフラージュされた色気−これがたまりません。カモフラージュのないストレートな色気は、もう35歳のお兄さんには興味ありません。

 ところが、世を見渡すと、コンタクトレンズ全盛の時代です。せっかく眼鏡が似合いそうな雰囲気を持った女性でも、やっぱりコンタクトレンズです。きっと、あの彼女も帰宅して、部屋で一人になったときだけは眼鏡をかけるのでしょう。コンタクトレンズを外し、シャワーを浴び、ベッドの中でゆっくり好きな小説を読むときだけ、眼鏡をかけるのです。眼鏡をかけた彼女の“素顔”は、いったい誰にみせるのでしょうか。
 
 かく言う僕も中学生の頃からずっと眼鏡をかけています。小学生の頃は両目ともに視力は2.0だったのですが、中学生になってから急に悪くなりはじめました。布団の中で変な姿勢で寝転びながら、なぜか興味がガゼンと沸いてきた哲学書を読んだり、ついでにやたら裸の写真が載った哲学書をこっそり盗み観したりしていたせいかもしれません。

 恋をしました。急激に目が悪くなったばかりで、僕はまだ眼鏡をかけていませんでした。これがそもそもの間違いの元でした。相手は隣のクラスの女の子でしたが、話したことがあるわけではなく、遠くから見てただ漠然と憧れていたんです。

 僕は、友達を通じて彼女を呼び出しました。せ、せい、青春です。青い春です。僕は伏目がちに「す、す・・好きなんです!」とか言ってしまいました。

 でも、初めて真近にみる彼女の顔をみて、びっくりしました。







 ブスでした。思いもよらないブスでした。「いまの言葉は削除」とは言えません。


 それからです。今後は決して誤りのなきよう、いつでも眼鏡をかけるようになりました。もう20年に及ぶ眼鏡生活。いまでは眼鏡が一番似合う男(自称)になりましたが、恋の進歩はあまりないようで、今度は「心の眼鏡」が必要だと感じているところです。眼鏡ネタはこれにてお終い。ネタですから。