100年後の世界
100年後の世界に、僕は存在しない。
これを読んでいるあなたもいないだろう。土の中に骨ぐらいは残っているかもしれないが。
いまこうして生きているのはなぜだろう?何のために?と問うのは、子どもと、子どものような僕と、哲人になれない哲学者だけ。
利己的な遺伝子が僕を生きさせるのか。
宇宙が僕の目を通して何かをみようとしているのだろうか。
説明しないままに言葉を打ち切る僕の唇。
説明文は嫌いだ。読まずに丸めてゴミ箱に捨てるだけ。説明は説明であって、事実とは違う。
説明できる情報が欲しくて世界を歩くんじゃない。感じ取ることしかできない事実に出会いたくて、僕はここにいるんだ。
僕がいない100年後の世界のために。子どもたちのために・・・こんな僕にもできることがきっとあるはずだと思う。
だからこそ、いま僕がやらなければならないのは、チョロチョロと漏れている水洗トイレの修理。100年後なんて、もうすぐだ。
(※注意:散文と詩の間を往復する文章としてお読みください。かなり意味不明ですから)