四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

100年後の世界

100年後の世界に、僕は存在しない。



これを読んでいるあなたもいないだろう。土の中に骨ぐらいは残っているかもしれないが。

いまこうして生きているのはなぜだろう?何のために?と問うのは、子どもと、子どものような僕と、哲人になれない哲学者だけ。


利己的な遺伝子が僕を生きさせるのか。

宇宙が僕の目を通して何かをみようとしているのだろうか。


説明しないままに言葉を打ち切る僕の唇。

説明文は嫌いだ。読まずに丸めてゴミ箱に捨てるだけ。説明は説明であって、事実とは違う。

説明できる情報が欲しくて世界を歩くんじゃない。感じ取ることしかできない事実に出会いたくて、僕はここにいるんだ。


僕がいない100年後の世界のために。子どもたちのために・・・こんな僕にもできることがきっとあるはずだと思う。

だからこそ、いま僕がやらなければならないのは、チョロチョロと漏れている水洗トイレの修理。100年後なんて、もうすぐだ。


(※注意:散文と詩の間を往復する文章としてお読みください。かなり意味不明ですから)