僕らの宝物
「人間の宝物は言葉だ。一瞬にして人を立ち直らせてくれるのが、言葉だ。その言葉を扱う仕事に就いたことを、自分は誇りに思おう。神様に感謝しよう。」(『女流作家』奥田英朗著)
昨年の春、日本の友人が中国昆明にいる僕のところまで贈ってくれた小説の中に、この言葉がありました。僕は久しぶりにひどく感動して、ノートに書き付けておいたものです。
この小説の簡単なストーリーはこうです。ある女流作家が、渾身の作品を発表したがまったく売れない。昔はそれなりに売れていた。しかし最近は編集者の反応もどうも鈍い。もうしんどい作家は辞めようか。書き手としての自信を失い、深い孤独感に襲われているときに、小説など読みもしそうもないひとりの女性からふと声をかけられるんです。「面白かったです。感動しました。次の作品を楽しみにしています」と。
そして女流作家は冒頭のようなことをつぶやき、ヤッホーと叫んで階段を駆け上がるんです。彼女は売れている時には無視すらしていたのに、いまになって初めて大切な読者がいたことに気づき、そして逆に読者の言葉に勇気付けられていたのです。
僕がいま上海で勤めているのは、小さな小さなメディアです。本当に読者がいるんだろうかと疑うほどに小さい。反応も分からない。それでも仕事はそれなりに忙しく、本当は、“生産”するべき文章を、ただ空白を埋めるだけの情報で埋め尽くそうとします。さらにはその先に読者がいることすら忘れてしまうことが多いのです。
昨晩、ある同僚の男性からA4版の紙切れをこっそりと手渡されました。そこには読者の視点に立った誌面づくりをしていきたいという内容が書かれていました。いろいろな企画案が書かれていました。
メディアが大きいとか小さいとかはあまり関係がありません。この小さな雑誌を手に取って読み、本当に感動してくれる人が5人でも10人でもいたら、僕は嬉しいと思うのです。ちゃんと読んでくれる読者5人のために取材をし、文章を生産していくことが、結局は数万人を感動させるものになっていくのかもしれません。言葉は人間の宝物です。いや、人間の宝物は言葉です。
いつまで僕がこの小さなメディアに身を置くのかは僕自身にもわかりませんが、それまで上海にいる人に勇気を与えられる文章を書いていけたらと思っています。
女流作家は言います。
「世界のあちこちで起きている激しい出来事に比べれば、作家の仕事など砂粒のようなものだ。消えたっていい。風に飛ばされたっていい。そのときどきで、一瞬だけ輝いてくれれば。」
- 作者: 奥田英朗
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- 発売日: 2004/04/24
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