四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

知らない街角で

 初めて訪れる街や道では、いつも何か新しいものを発見してうれしくなるものです。上海はとても広く、僕にはまだまだ足を踏み入れたことがない場所がたくさんあります。

 この前、日本から来た友人を連れて、知らない道を歩きました。途中、夕食を食べようと入ってみたのは、いかにも安そうな庶民食堂です。その日は30度を超す猛暑でしたが、エアコンが壁に取り付けてあるのに、おんぼろの扇風機が勢い良く首を振っているだけ。「エアコン付けて!」と訴えると、店主も扇風機と同じように首を横に振ります。どうやらエアコンは故障しているよう。
 仕方なく、汗を垂らしつつ、意外といける食事を楽しんでいると、店の奥からパジャマを着た老人が出てきました。その顔をみて、僕らは内心驚愕しました。
 髪の毛がないだけではありません。耳たぶはなく穴だけで、手の指はすべてひん曲がっていました。全身の表面という表面が溶けて、そのまま固まっているよう。昔にひどい火傷を負った痕だということはすぐに分かりました。生きていたのが不思議なぐらいなひどさ。暗闇から出てきたら、きっと腰を抜かすでしょう。

 「ベトナムへ戦争に行ってこうなったんだよ」と、老人の息子らしき店主は話します。70年代の中越戦争でしょうか。
 さらに店主は親指を突き出してグッドというサインをつくり、「でもすごい人なんだ」と自慢し、びっくりしている僕らに老人を紹介してくれました。

 僕らは日本人ですと言って挨拶を交わすと、しばらく老人と話をしました。お茶のこと、日本の漢字の由来のことなど、初対面の中国人と話題になることばかりです。唇さえも溶けて薄くなっていましたが、そのきれいな北京語からは、知性という男の強さが感じられるようでした。どんな絶望が彼を襲ったんでしょうか。それでも這いつくばるようにしてやってきたからこそ、今の彼があるのだろう。

 店長の言葉の通り、いつの間にか老人の周りに近所の友人らしき人が集まってきていました。上海語のため、何を言っているのはまったく分かりませんでした。が、全身にひどい障碍を持ったこの老人が、周りの人々から尊敬されているのは、僕らの目にも明らかでした。


 「また遊びに来なさい」と老人。
 僕の知らない現場があり、僕の知らない人々が生きている。そんな当然のことがうれしくなり、僕は「必ず来ます」と返しました。


  あっ、これ七夕の前の話題じゃないね。次回はもっと艶っぽい話題でも。