四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

職人の道具

 鉋(かんな)をご存知でしょうか。


 男性なら、中学の技術工作の授業で木材を削るときに使ったことがあるかもしれません。この鉋を木材の表面を引き寄せるように走らせると、鉄の歯が木材を薄く削り取り、鰹(かつお)の削り節みないな木の薄い破片が出てきます。そうやって少しずつ木材の表面を削っていく道具なんです。

 僕が持っている鉋は、きっと特別です。今は亡き祖父の手の垢と汗がしみ込んだ鉋だからです。その表面は丸くなり、艶(つや)を帯びて黒光りしています。まさしく職人の道具。故郷の信州に帰るたび、自分の部屋の本棚の奥にしまってある鉋を取り出し、手にとっては眺めます。
 初めは角があり、青かった道具が、ここまで丸く艶を帯びるには、どれだけの歳月が必要だったのでしょうか。20年、30年、いや40年…。
 いい道具は、歳月を蓄えている。時間は、過ぎ去るものじゃなく、蓄積されていくものなんだ、と僕に教えてくれているようです。


 祖父は、桶(おけ)をつくる職人でした。
 彼は12歳ぐらいの時、実家を離れて養子に出され、子供のない木曽の桶職人の家へ向けてひとりで旅立ったのだと、いつか話してくれましたことがあります。
 家族と別れて、見知らぬ家庭の子供になる。少年だった祖父は何を思ったでしょうか。両親に裏切られた気持ちだったのでしょうか。少年がひとり深い峠を歩いていく。木曽の山道はどんなに暗かったんだろうかと、僕は想像します。

  
 それから祖父は、桶職人として83年間を生きぬきました。


 とても素朴な人でした。近所のスーパーにすら買い物に行ったことがないほどです。祖父の口から他人を悪く言う言葉を一度として聞いたことがありませんでした。耐えるということを知っている人でした。まるで耐えることだけが人生の美学だといわんばかりに。なぜあれほどまで強く生きれたのか、孫の僕には分かりません。


 でも、祖父が使っていた道具が、何かを教えてくれるかもしれない。そう思って僕は大切にしています。
 理不尽なストレスを感じ、酒を飲みながら愚痴をこぼしてしまう自分。職人の道具にしみこんだ手垢の意味を知るには、まだまだ修行が足りないのかもしれません。