夏の遠い花火
僕の故郷、信州の夏のある夜。ドドーンと、くぐもった重低音が部屋を微かに揺らして、テレビの音声さえ消してしまいます。
「どこかで花火が上がってるなぁ」と家族の誰ともなくつぶやくと、いままで夢中になってかぶりついていたお笑い番組がとてもつまらないもののように思えて、僕はテレビのスイッチを切り、急いで2階へと駆け上がります。
自分の部屋のガラス窓を開け、目が慣れないためか足元がはっきりしないベランダに出てみると、涼しげな夜風が顔を撫でていきます。夜の空気には、昼間の強い太陽の光を浴びた植物たちがやっと眠りにつけた安堵感が含まれているよう。僕は星空を見上げながら、植物たちが吐いた空気を肺いっぱいに吸い込みます。
10キロ、20キロ・・・。どれだけの距離があるのでしょうか。遠く離れた街から、花火の低音だけがベランダまで響いてきます。時折、森の梢を越えて大きな花火が空高く上がると、光の花が開いて一瞬で消えるのが見えます。空はすぐさま暗闇に戻り、たった今の光が幻だったのかと感じられるほどの静寂。その直後に遅れてやってくる音の波動ともに花火が現実だったのだと知るのです。
この儚さが、花火の美しさの本質なんだろうと、思っています。
そんな物事の儚さやフラジャイルを貴いものだと感じられる人なのかどうかで、僕は信じるに値する人なのかどうかを判断しているのかもしれません。
「きょうの花火は遠くで小さかったけれど、きれいだった」。
人ごみの中から見るものより、こんなセリフをつぶやき、夜風が心地よいベランダから眺める遠い花火が、僕は好きです。
あっ、今度も約束した艶っぽい話じゃなかった。