四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

晩夏の悪臭を放つ上海の路地裏

  湿気を帯びた生臭い空気が、むっと地面から立ち昇ってきて、鼻の奥を刺激します。そんな時僕は吐き気を覚え、上海という街に対して罵りたくなるのです。


 夕立上がりの上海の路地裏。ここには、晩夏を迎えた季節の情緒など微塵もありません。


 食べ残された米や麺、野菜のかす、むしりとられたニワトリの羽根・・・道端に捨てられた庶民たちの生ごみは、昼間地面に蓄えられた熱で加熱され、雨の水分をたっぷりと吸収して、そして当然、それは確かにあっというまに腐りはじめるのです。
それはまるで酔っ払いの胃の中で溶かされ、吐き出されたばかりの生暖かいゲロのように。

 そんな悪臭を放つゲロの上を、ハイヒールを履いた若い女性たちが同じ方向へと歩いていきます。
 きれいに着飾った彼女たちが向かう先は、日本式のカラオケやスナック。そこは夜になれば、本能のままに下半身を硬くした男たちが集まってきます。ここでは良い悪いという判断は置いておいて、上海という街は人間のすべてが剥き出しになっている都市なのかもしれません。


 それでも、僕が一番気になっているのは、誰もが何かに苛立っているようにもみえることです。ここにいると、人はずっと奥に隠していた「怒り」ですら抑えられなくなっていくようなのです。

 人々が苛立つその訳は、この都市の過ぎ行く時間の速さだけではなく、すべてが剥き出しになった都市だからこそなのかもしれない。
  
  ごみも、欲望も剥き出しになっているからこそ、思考の停止と破壊を招く「怒り」ですらも丸裸にされてしまうのだと、僕は考えています。




 しかし、だから上海は面白いのかもしれない。ここでは丸裸の人間(実際に上半身裸の男性は多いがそれは別問題)を観察できるし、さらに自分の中にすらそんな裸の姿を発見できるのです。
  悪臭を放つ生ごみや欲望を街に吐き出しているのはなにも中国人だけでなく、お高く澄ました日本人もそうだし、そしてこの僕も吐き出しているのは紛れもない事実なのです。



 追伸:8月は大連出張などがあってかなり忙しく、ブログを書く暇がほとんどありませんでした。秋からは週1回は更新できるようにします。ブログって、物事を考える機会を与えてくれるからいいかもって最近は素直に思えるようになっています。