四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

景徳鎮の月

300年間の歴史を持つ窯に残った陶磁器

  中国の国慶節(建国記念日)の長期休暇を利用して、2日から5日までの4日間、陶磁器の産地として世界的にも有名な江西省の景徳鎮を訪れました。そこで陶芸をしている日本人の友人たちに会うためでした。

 上海から寝台列車でおよそ15時間。1日の午後1時に出発し、翌2日の早朝4時半に景徳鎮の駅に到着しました。地図上では近くに見えますが、列車に乗ると長く遠く、中国の大きさを実感できます。

 列車の中で読み終えたのは、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)です。その中で僕が一番興味を覚えたのは、将棋の羽生善治さんが唱える「高速道路と大渋滞」の箇所でした。
 IT化によって、さまざまな分野で学習の効率が高まり、子供たちが「整備された高速道路」を疾走してきている。将棋界であれば、大勢の子供たちがネット対戦などを利用してあるレベルまで簡単に到達できるようになった。しかし、高速道路を疾走したきた若き一群は、プロの一歩手前というところまで到達した後、どんなにがんばってもそこから抜け出せないままに「大渋滞」を起こしているといいます。
 「直面した『大渋滞』を抜け出すには全く別の要素が必要となってくると、羽生さんは直感する」「そこで当然の問いは『大渋滞を抜けるためには何が必要なのか』であり、まさにそれこそが『人間の能力の深淵』に関わる難題であり、ここを考え抜くことが、次のブレークスルーにつながる」と、梅田さんは次を考えるヒントを提示しています。


 
 土埃が舞う小さな田舎町という感じの景徳鎮。
 景徳鎮では今、4人の日本人が陶芸をしています。うち30代の2人は、景徳鎮で6年という長い時間をかけて陶芸を学んできた男性と、日本での経験も含めると陶芸歴は長く、日本で個展を開くなど、もうプロの陶芸家といってもいい女性です。
 残る若い20代の男性2人は、これから陶芸を学びはじめようと準備をしているところです。


 陶芸家2人の製作現場をそれぞれ見学させてもらいました。僕もお願いして、轆轤(ろくろ)をひかせてもらいましたが、やはりこれがかなり難しい。頭で理解しているつもりでも、手がまったく言うことを聞きません。粘土が固まったまま、ダダをコネテいるようです。
 きっと、僕の手そのものが粘土の軟らかさや伸び具合などを知らないせいだろう。もしじっくりと学ぶ時間があれば、まず頭で理解することよりも、はじめは繰り返し手に粘土の感覚を覚えさえることから始めるべきなんだろうと感じました。あたかも上手に女の子を扱うように。


 「陶芸にはいくつもの壁がある」と女性の陶芸家は言います。誰でもある程度のレベルには到達できるが、最後の壁を越えれるのかどうかはその人の「才能」にかかっているのではないか。男性陶芸家は「努力ややる気だけではどうしようもない」とも言います。


 どんな世界でも同じです。ある一定のレベルまでは、ちゃんとした手順を踏めば誰でも到達できる。が、そこからさらに上のレベルまで抜け出そうとすると、大きな壁が横たわっている。
 その壁を乗り越えられるかどうかは、月並みな模倣や模範を超えて体験的に自分だけの世界を創り上げてきた人だけではないだろうか。と、彼らの独特な作品やスケッチをみていて思いました。彼らが持つ自分だけの世界は、学校のお勉強やネット上の「高速道路」には用意されていない。そもそも高速道路に情報として用意することは不可能な性質のものではない。
 景徳鎮への旅は、自分の仕事をも見直すよい機会になりました。


 6日は、中秋の名月中秋節)でした。4日の夜、景徳鎮の空に浮かんだ欠けた月はキリリと美しく、はっきりとウサギが餅をついているのが分かりました。