四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

アフリカの大地に信号機付きの横断歩道

  春先から部屋のベランダに置いて育てていた、観葉植物が枯れていました。緑色の水脈がみえていた生き生きとした葉はいつのまにかカラカラに干からびて白くなり、埃だらけの白いコンクリートに同化しているようでした。
 
 僕が水をやらなかったせいでしょう。僕のせいでひとつの植物が死にました。新しく買い換えたとしても、また死なせるかもしれません。季節のせいでもなく、誰のせいでもなく、僕のせいで。


 薄汚れた上海の空気には干からびた白い植物がよく似合う、なんて腐りながらシャッターを切ろうと思いましたが、僕の心までデジタル画像の中に吸い込まれていって単純な記号配列に置き換えられるような錯覚にとらわれ、怖くなって止めました。

 枯れたのは観葉植物じゃなく、僕のほうなのかもしれません。理由はただ忙しいだけだったのか。なぜ僕が彼女に水を与えてやらなかったのかを考えるべきなのかもしれません。


 暇なときは、コピーDVDで映画を観ています。デ・ニーロ主演の「ディアハンター」を観ていたら、日本語字幕に「犬をほえる」と出てきました。犬に吼えている人はあまりみかけません。最近中国で、犬に噛まれた男性が、逆に犬に噛みつき返して大怪我をさせたという勇ましすぎるニュースがありましたが・・・。
 それにしても、訳はたぶん「犬“が”ほえる」の間違いです。“を”と“が”のたったひとつの助詞の違いで、意味がぜんぜん違ってしまう日本語は本当に難しいですね。

 雁など渡り鳥の飛行を撮影した美しい映画「Le peuple migrateur」(日本語名不明)を観ていたら、アフリカの大地を飛行する鳥のシーンで、ナレーションの日本語翻訳文が「鳥たちはアフリカ大陸に白い信号機付きの横断歩道」と出てきました。なんのこっちゃさっぱりわかりませんでしたが、渡り鳥たちがアフリカなんかで「信号機付きの横断歩道」を渡る必要などなく、大空を自由に飛んでいけて良かったと思いました。


 信号機が青になっているのにもかかわらず、なかなか渡ろうとしないのは僕のほうなのです。信号が青になると、心はブルーになる。それはもうすぐ黄色が点滅し、いずれ赤になって、永遠に青にならないのかもしれません。そしたら僕は上海でいったい何を待たなければならないのでしょうか。

 僕は、スズメのように一ヶ所に棲み続ける「留鳥」なのでしょうか、それとも季節ごとに場所を移動する雁や白鳥のような「渡り鳥」なのでしょうか。



 ※昨日、友人たちと銅川路という海鮮市場へ“今が旬”な上海蟹を食べに行ってきました。味が濃くてうまかった。海鮮だけでなく、蛙から蛇、スッポンなんてゲテモノも並んでいて、しばし興奮。それに追い討ちをかけて市場のあんちゃんがガッツポーズで「精がつくからどうだ」と、不気味な縞模様の蛇を強く薦められました。なぜ僕に薦める!?