四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

可愛い隣席の女性

「あなたにこれをあげます」と、真顔のまま彼女は言った。
 彼女が示していたのは、彼女の左手首に巻かれた腕輪。
「人からもらったもの。でも気にしないで。ぜひもらってください」という。


 先々週の日曜日、私は、上海の近郊にある水郷の里として有名な「周荘」へとひとりで出掛けた。上海市内の上海体育場から周遊バスが出ている。早朝7時半に出発し、9時に周荘に到着。自分で街の中をみてまわって、午後2時には再び周荘を発ち、午後4時には上海市内へと帰ることができる。往復140元。

 私の席の隣は、女性だった。切符売り場でもみかけて気になっていたが、彼女もひとりのようだ。
 
 バスの運転手が出発直前に、「このバスはガイドは付きません。周荘に到着したら、それぞれ個々人で自由に観光してください。よければ、この地図をどうぞ。2元です」と周荘の地図を私たち乗客にみせてのたまう。
 ガイドブックもなにも持たない私は、まんまと運転手の小さな商売に乗らざるを得なかった。
 隣の女性は私から値段を改めて聞くと、「2元!高い」と静かに文句を言った。
 
 それから彼女と話した。
 彼女は上海で暮らしているが、いままで周荘には行ったことがなかったという。僕が買った地図を彼女にみせて、どこに行ったら何が見られるかを話し合った。彼女は、私が外国人だということには気づいていないよう。周荘に到着すると、私たちは別々に行動した。

 周荘は、小さな運河が街の中を通る。私は写真を撮りながら、ゆっくりと歩きまわった。中国の古い街並みというのは、とても気持ちが落ち着くものだ。建築とか、街並みというものが、人をどれほど快適にするかを改めて思った。


 上海へ帰るバスが出発する時間の午後2時。食堂でひとりビールを飲んできた僕は、赤い顔をしてバスの中へ戻った。その帰り道のバスの中で、彼女は行った場所を話し、買ったおみやげをみせてくれた。が、私はビールのためか、すぐに眠りこけてしまったようだ。

 ふと目を覚ますと、もう上海市内に入っていた。「あなたはずっと寝ていましたね」と彼女は笑って言う。そして、その腕輪をくれるというのだ。
 私は特別な親切をしたわけではない。きょう知り合ったばかりの女性にものをもらうことには一瞬躊躇したが、もらって欲しそうな彼女の顔をみて、私は「ありがとう」とうなずいた。
 私は、彼女と同じように左の手首に腕輪をはめた。





 上海体育場に到着すると、私たちは「さよなら」と言って別れた。
 もし彼女があと半世紀遅く生まれていて、二十歳ぐらいの娘だったら、私は確実にデートに誘っていただろう。残念ながら、彼女はもうおばあさん。もらった腕輪は、いわゆる数珠である。
(おしまい)