シンプル・プリンシパル
「もっと物事ってシンプルなんじゃないかと思ってるんです」
と、彼はうつむき加減に言った。
自信がないんじゃない。ちょっと細めの目がさらに細くなって、楽しくて笑っているかのよう。
「吹っ切れた」、と表現したら言い過ぎだろう。人が何かから吹っ切るには、意外と強い「決意」のようなエネルギーがいるもの。いつの間にか肩の力が抜け、きばらずにどこへでも歩いていけるしなやかさを身に着けたようだ。
彼は先週、合計4年間を過ごした中国を離れた。その数日前、うなぎが美味しい日本風居酒屋に入って2人で静かに話した。話の潤滑油は生ビールジョッキの1杯。あまり酒が飲めない僕にはちょうどいい。
日本では、がなり立てるテレビのワイドショーや大衆新聞が煽っているのかもしれない。恐ろしいぐらいに統一された日本人の価値観の中で、彼は窒息しそうになっていた。社会や他人から押し付けられた「常識」を、彼は嫌った。
自分らしく生きるにはどうしたらいいのか。
いや、そもそもここに自分らしい生き方なんてあるんだろうか。
繊細で敏感な人ほど、この世の中は生きにくいものだ。
高校を卒業した後、北海道の農場で働く。そこで出会った社長に「中国もいいんじゃないか」と言われ、上海で1年間留学した。その後、雲南で1年過ごした。その時、僕らは知り合った。
中国でもいろいろと経験し、いろんな人とも出会い、自分なりに考えた。
だが結局、どこかに人としての正しい価値観が存在していたわけではなかった。
日本でも、上海でも、雲南でも、どこにも自分らしく生きられる価値観なんて発見できなかった。隠されてはいなかった。
だからといって彼は失望したんじゃない。
「価値観なんて、結局自分なんですよね。他人が決めるものじゃないし、ましてや社会が決めたりもできない。僕がどうしていきたいか、それだけ。やっとそういう風に楽に考えられるようになったんです」。
価値観のまったく異なる中国で暮らしたことが、彼を解放したのかもしれない。
翌朝、会社へ行く途中の路上に、寒さのためか頭を坊主のように丸くしたかわいいスズメが1羽いた。トコトコと歩道の上を歩いて食べ物を探している。周囲の雑草はしっとりと朝露を含み、空はいつもより透明感を増していた。僕が近づいていっても、ピョンと小さく跳ねるだけで、決して飛び立とうとしなかった。まるで僕が危害を加えないことを悟っているかのように。
物事を複雑に考えすぎ、周囲を怖がりすぎていたのは僕なのかもしれない。
結局は僕自身がどうありたいと思っているのか。どうしたいのか。
僕より10歳以上も年下の彼と話していて、それこそがこの世の中で一番大切なことのような気がしてきた。