四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

チベット族の阿宏

 深夜1時。

 隙間だらけの安い宿屋の寒さに尿意を催した。
 僕は薄い布団からそっと抜け出してトイレへ行こうとすると、階下の薄暗い部屋からパソコン画面の光が漏れていた。
 
  音は何も聞こえてこないが、格子にパソコンの青や赤の光が反射して動く。

  インターネットというのは深夜になればなるほど、若者たちに世界の扉を開くのかもしれない。
  彼がその頃、寝食を忘れて熱中していたのが、オンラインゲームだった。






 4年前に雲南省麗江で出会った阿宏(アホン)という青年。僕が直接知っている唯一のチベット族の若者だ。


 チベット族は、チベット自治区だけでなく、周辺の四川や青海、雲南にも多く暮らしている。阿宏は、雲南省香格里拉(シャングリラ)から麗江に出てきた青年だった。母親といっしょに麗江にある小さな安宿の経営を任されていた。


 インターネットに夢中になるイマドキの彼。昼間も部屋からあまり出なかった。体には脂肪が貯まり、ぷくぷくと丸い顔がさらに丸く大きくなっていくようだった。

チベット族とは思えない自堕落な生活をしていたが、その太く短い首にいつもかけられていたのが、先代のパンチェン・ラマだかカルマパだかの写真だった。
 「彼はすばらしい人格者」だといって、そっとみせてくれたこともあった。ダライ・ラマの写真ではないということだけが、僕には新鮮だった。



 理想郷と呼ばれたシャングリラもチベットも、僕たちが勝手に思い描く幻想なのだろうか。
 インターネットが普通に家庭に引かれ、ゲームに熱中する若者を生む近代化の一方で、まだチベット仏教の信仰は若者の間でも深く息づき、チベット族としての強いアイデンティティを感じているのかもしれない。

 

 僕が麗江を離れるとき、阿宏のお母さんはカターと呼ばれる絹のスカーフをプレゼントしてくれた。
 チベット族の幸せの象徴だという。


 
 
 
 あの事件の後、いま阿宏は何を考えているんだろうか。
 何も考えずにあいかわらずゲームでもやっているんだろうか。

 
 シャングリラは、ここ上海からはあまりにも遠すぎる。
 さらにその先にあるチベットで起こっていることなんて、僕にはまったく分からない。


 



 昨夜、近所のマッサージ屋さんに行った。漢族の若い男性のマッサージ師は、僕の足を揉みながら、「あれはダライ・ラマの仕組んだものですよ」と断言していた。
 こちらの新聞紙面に書かれている内容とまったく同じ回答は、予想通りだった。

 日本の報道も、中国の報道もどちらも当てにならないことが多いと感じている。
 


 阿宏のお母さんからもらったカターはいまでも長野の実家の部屋に飾ってある。






 ちなみに、チベットの写真を撮り続けている友人の写真家、足立百合さんのサイト。
 http://www.nature-graph.com/