四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

バベル

 僕が暮らすアパートの真向かいに、人が誰もいない、巨大なビルがある。

 この辺りでは一番高いビルで、40階はあるだろうか。
  デベロッパーが資金不足になったとかで、建設が中止されてしまったのだろう。
  
 ビルを人に例えるなら、頭(最上階)から腰辺り(20階ぐらい)までの上半身はガラスも入り、ビルとしての様相を呈している。が、足元の地上から10階ぐらまでは壁すらなく、コンクリートの柱がむき出しになっている。
  上半身は服を着ているが、下半身は何も身につけていない巨人のように。
   時が何年間も止まったままになっている。
 
  巨人は、夜になっても黒い図体をみせて天空に向けて突っ立つ。
   最上階の屋上からは作業用のクレーンが顔を出し、化け物のような手を霧で曇る暗闇の中に突っ込んでいる。

 
  寝床にに入る前、僕はベランダで歯磨きをしながら、巨人を見上げた。
   巨人はどうして生まれ、どんな人々が関わり、そして最後にはなぜこれほど無残に捨てられたのか。下半身をさらしたままのバベルの塔になったのか。
  歯磨き粉の中で、僕のはなかい想像は溶かされていく。



 実は、確かなものなどこの世の中にはひとつだって無いのかもしれない。
   世界のお金を集め続けていたウォール街の金融システムでも、破綻リスクを取引するクレジット・デフォルト・スワップCDS)も、世界のものを作り続けてきた中国の「世界の工場」ですら、いつかは不確実性の中に拡散していく。
 ただ、夢や希望、目的、目標、失望、絶望、…そんな人の気持ちのゆらぎが、この街を形作り、巨額を動かし、この巨人を動かしているだけ。

   広州で出会ったバベルの塔。     
     巨人が突っ立つ世界の不確かさが、僕を眠りに誘う。

  
 

  誰もが寝静まった深夜、誰もいないはずの高層ビルの中ほどの窓から、小さな明かりが差しているのかもしれない。