月を撃つ
「もしあの月を撃ち落とすだけの力を持つことができれば、
この世から消えてしまうのかもしれない。いま多くの人々が感じている悲しみや苦しみも」
電話の向こうであなたは言った。
何をどう語るのかなんてどうだっていい。
何をどう感じているのかが、知りたいだけ。僕は電話の声に耳を澄ました。
中国に来て4年、ここで学んだことがある。
機能や使い方を説明するマニュアルなんてどこにもない。
それでも月は空に浮かんでいるということ。
責任の所在を確かめる契約書なんて必要としていない。
それでも地球は自転しつづけているということ。
日本で暮らしていたら、気づけなかったかもしれない。世界が動いていることすらも。
もしかすると、僕はこれだけのことを学びに異国の地に来たのかもしれない。
あの月を打ち落とすためにやって来たのかもしれない。
見えない糸ですべてが仕切られていると感じていた。
自由に体を動かそうとすると、どこかの線に触れて、ビーと警戒音が鳴る。
少年の頃から感じていた社会のみえない糸。
その糸を解くほどの勇気なんて持てなかった。
「そんな単純なことに気づくのに何年もかかったよ。
今夜なら、僕はあの月を撃ち落とせる気がする」