四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

走る女

朝、会社までの通勤路では、多くの若者たちとすれ違う。
 20階建てほどの古いオフィスビルがあって、彼らはたいていその中に吸い込まれていく。

  彼らと逆方向に歩きながら知らない彼らの1人ひとりの顔をみて、私は中国という日常の中に暮らしながら、海外という非日常の中にいることを実感する。
   

 
 中国へ来て5年が過ぎた。
  流れに逆らったはずなのに、時間には逆らってなかったことにいまさらながら気づく。

   「5年と言葉では言うけれど、簡単な事ではないと思う」とある人は言った。

   どうりで免許も書き換え時期になってしまうわけだ。パスポートも更新したっけな。


 その歳月が、僕の立ち居地に変化を起こしているのだろう。

   このブログの当初の色合いから、自分自身の色が少しずれているのを感じるのだ。
    色合いのずれが、私をこのブログから遠ざけていたのかもしれない。

    別の角度から表現すれば、自分自身への興味は小さくなり、表現する必要性がなくなったということなのかもしれない。
 

  

    1ヵ月ほど前のある朝、通勤時にすれ違った女性は走っていた。始業時刻に遅れそうだったのだろう。
  顔ははっきりみえなかったが、朝走る女は美しくみえた。


      深い意味付けなどなく、ただそのことをここには書こうと1ヵ月前から考えていた。