走る女
朝、会社までの通勤路では、多くの若者たちとすれ違う。
20階建てほどの古いオフィスビルがあって、彼らはたいていその中に吸い込まれていく。
彼らと逆方向に歩きながら知らない彼らの1人ひとりの顔をみて、私は中国という日常の中に暮らしながら、海外という非日常の中にいることを実感する。
中国へ来て5年が過ぎた。
流れに逆らったはずなのに、時間には逆らってなかったことにいまさらながら気づく。
「5年と言葉では言うけれど、簡単な事ではないと思う」とある人は言った。
どうりで免許も書き換え時期になってしまうわけだ。パスポートも更新したっけな。
その歳月が、僕の立ち居地に変化を起こしているのだろう。
このブログの当初の色合いから、自分自身の色が少しずれているのを感じるのだ。
色合いのずれが、私をこのブログから遠ざけていたのかもしれない。
別の角度から表現すれば、自分自身への興味は小さくなり、表現する必要性がなくなったということなのかもしれない。
1ヵ月ほど前のある朝、通勤時にすれ違った女性は走っていた。始業時刻に遅れそうだったのだろう。
顔ははっきりみえなかったが、朝走る女は美しくみえた。
深い意味付けなどなく、ただそのことをここには書こうと1ヵ月前から考えていた。