四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

被災地から3000キロ離れた場所から

私はいま、日本・東北地方の被災地から、3000キロ以上離れた場所にいます。
広東省広州市
こちらでは日本人も1万人余りが暮らしています。


11日、午後3時ごろだったか、中国のテレビでも日本で大きな地震があったと流れていました。私はいつもの地震だろうと、その時はあまり気にせずに日常に戻っていました。

ところが、夕方になってから彼女が「日本が大変なことになっている」と、テレビのニュースを見て言いました。東北の町に津波が襲う映像が流れてきました。

ことの重大さに初めて気づきました。
すぐに長野にいる家族に電話をして安否を確認しました。幸い家族や親戚などに直接の被災者はいませんでした。


それから1週間以上、中国のテレビでは大震災と福島原発の事故が連日大きく報道されました。日を追うごとに次々に被害の甚大さがこちらにも伝わってきました。
まるで映画のような映像。自分の母国で起こったこととは思えないほどの衝撃を受けました。

私はメディアを通じての情報しか知りません。
被災者がどんな苦しみの中にいrのか、絶望の中にいるのか。本当のところは分かりません。


震災前と、その後の世界観が変わり、日本を眺める風景が一変してしまったように感じます。


ただ世界では、そんな絶望の中でも、どんな災害に遭おうとも、日本人はとても秩序を守り、礼儀正しい民族という高い評価が浸透しているように思います。同じ日本人としてとても誇りに思います。



泣き喚いたところで起こってしまったことは何も変わらない。取り戻せない。

たぶんそれは、古代から永遠と繰り返し日本列島を襲った自然災害が、自分たちではどうしようもなく大きな自然の力に対する畏れを私たち民族の遺伝子の中に組み込んでいき、何事にも常に謙虚にならざるを得なかったからだろうと思います。崇高な理念や理屈など打ち砕いてしまう自然の力をまざまざと感じてきたからだと思います。


壮絶な映像が中国でも流れたためでしょうか。
いま、中国の人々の心を動かしています。
中国の友人や知り合いからも「日本の家族は大丈夫か」という電話をいくつも受けました。
たくさんの人々が被災地の人々のことを心配し、応援してくれています。

広州の日本領事館に寄せられる義援金の半分以上は、中国の普通の人々、しかも日本とはまったく関係のなかった人からだそうです。利己的だと思われていた人々からの多く寄せられる気持ちに、現地にいる日本人の考え方も変わりつつあります。


遠くにいるから私は直接に何の手助けをすることはできません。
だからこそ、いま日本のためにここ中国で自分の仕事をやることが私の役目だと思っています。




日本の経済、政治に問題点があったことは否めません。
遠くからみていると、日本の遅々とした歩みに歯がゆさを感じています。

この大震災が、過去の日本のあり方を問い直し、新たな成長に向けての分岐点となるのでしょうか。
少し時間はかかるかもしれませんが、日本は必ず立ち直るだろうと思います。


ガンバレ日本!