四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

慟哭の夜 序章

 冷たい大粒の雨が病室の窓を激しく叩きつけていた夜だったそうです。


 1971年2月1日午前1時。私がこの世に産み落とされた日です。私を産んだ女はひとり、濡れた窓からはてしない闇をみつめていました。女の冷たい涙は、黒い濁流となって病院の下水道へ薄汚れたへその緒といっしょに流れ込んでいました。

 この非情な夜を境にして、世界のすべての人々が慟哭の闇へと導かれていくようになった、と私は今でも思うのです。いや、世界の人々とは大げさすぎるかもしれません。少なくとも私が愛した彼が死んだのは、この夜を発端にした因縁の結果といってもいいのです。
 
 

  
 私の35年間をたどる真実の物語は、ここから始まります。




  ※あまりに暗い出だしでびっくりしたかもしれませんが、これは想像上の物語です。主人公は女性。みんなからこの続きのアイデアをお待ちしています。 


 ちなみに最近考えていること。時間的に制限を設けて、将来への目標を設定しなおそうと考えています。来年の2月、36歳の誕生日を区切りとしよう。やりたいことがあるのです。
 「断定」することの危なさを認識しているところです。「真実はこうだ」と断定する姿勢は一見カッコイイけれど、物事はそんなに単純に白黒を判別できるものじゃない。中間のあいまいさを大切にしたいのは、本当のことを知りたいと思うからこその姿勢だと思います。
 体質の変化というのは突然起こるみたいです。自覚のないままに。そういえば自分にも思い当たる節が。原因はなんだったんだろう?そもそも原因なんかあったんだろうか? 
 青空はない。水は臭い。給料袋は薄い。こんな上海になにをしに来ているのかななんて考えることもありますが、やはり人に出会うためなのかな。海外までわざわざ来ているだけあってか、みなさん素敵な人ばかりです。彼らとの出会いで僕の小さかった世界が大きくなっていくし、逆に純粋さに磨きがかかっているのを感じるのは気のせいでしょうか。