四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

ありがとう。

 数日前、久々に某日本料理店に行き、刺身や寿司にがぶりつきました。こちら上海の日本料理は、日本本土より相当高かったりするので、出費分だけはちゃんと取り戻そうと少々食い意地が張ってしまいました。翌早朝4時ごろ、腹部の激痛で目が醒め、トイレに駆け込みました。刺身が腐っていたのかもしれません。
 きのうまで3日間は腹痛と下○が続き、まともに食事がとれずに、少し体力が落ちたようにも感じます。が、やっとこさ復活のきざし。再来週から一週間、大連へ行くので準備をしなければです。


 同僚がまた一人、会社を去りました。彼女は3年ほど働いていた人物。元ぶんやという経歴が僕と同じだったので、業界を肌で経験してきた人間として親近感もあり、逆にお互い遠慮しているような感じだったのですが・・・。

 人は、会社の未来と自分の夢を重ねようと努力します。でも、お互いの未来が重ならないと分かった時、人はどう判断するのでしょうか?それは男女のような関係なのかもしれません。


 上海では、誰もが「時代に乗り遅れるな」と利益を求めて動きまわっています。時代の変化は激しく、利益やチャンスもすぐ目の前で確保しないと取り逃してしまいます。そんな激烈なビジネス環境の中で、企業という組織自体も未来がしっかりと見通せなくなってしまっているように感じます。将来への未来像を描かないまま、目的地もなくただひたすらに利益だけを求めて疾走しているかのよう。「利益=正義」という図式があたかも正しいことのように、僕自身も錯覚してしまうほどです。


 でも、こうやって仲間たちを見送るたびに、僕は考えます。企業は、社員たちに利益を分配するだけで十分なのでしょうか?その分配が大きければ大きいだけ、社員の満足度は大きくなるのでしょうか?

 
 
 否、だと僕は思います。

 

 特に上海に日本とは違う何かを求めてやってきた日本人には、利益だけでは引き止められるものではありません。

 会社は、社員たちが共有できる「夢」や「希望」を与えてあげるべきではないだろうか。会社が成長することで、社員たちも人間的に成長し、将来につながる。社員たちが成長すれば、会社も成長していける、そんなしくみをつくってあげないといけないと思っています。


 そして、僕らの仕事です。中国という異国の地で暮らし、肌の色も文化背景も違ういろいろな感覚や意見、思想を持つ人々の中から大切な言葉やつぶやきを拾っていくことができる。歴史の中に埋もれてしまいそうな小さな現実もすくい上げて、目に見える活字の形に変えていく。
 トヨタがどれだけ車を売って儲けようとも、僕らの仕事は彼らにはできません。言葉(活字)を生み出せる仕事にもっともっと誇りを持っていいと思っています。

 卑屈になんかならなくてもいい。お金は少なくても、誇るべきものが僕らにはある。いまいる仲間たちとそんな思いや夢を共有していけたらいい。僕が後輩たちに伝えなきゃいないのは、小手先の技術じゃなく、そんな夢なのかもしれないといま思っています。


 「感動しました」「面白かった」「ありがとう」と言われる言葉ほど嬉しいものはありません。