四十雀の囀り日記

路上をゆるりと歩いたり、時に疾走したり。2004年から中国で暮らし、16年秋に13年ぶりに帰国しました。

人の希薄な街で

 私は今、日本へ一時帰国しています。故郷は信州伊那谷。週末になると古い友人らと夜の街へ繰り出してはゆっくり酒を飲んだりしてぶらぶらと過ごしていますが、1年半ぶりの街を歩いていて一番感じたのは、意外にも淋しさでした。

 街に人がいない。人の生活感がまったく見えないんです。日本はこんなにも淋しかったのかと改めて思い知らされています。どうやらその原因は人口(特に若者たち)の少なさだけではないらしいと僕は考えています。

 先週末の夜、僕らは一軒目の居酒屋から出て次の場所を探そうとあてどなく街を歩いていると、交差点の角で若い女性が一人立っていました。最近は夜の寒さが増しています。その女性はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだまな僕らに声をかけてきました。片言の日本語で「マッサージ、3000円」とだけ言います。恐らく料金によっては彼女の仕事はマッサージだけではないのでしょう。

 彼女が中国人らしいと思った僕は試しに中国語で軽く話してみると、やはり彼女は中国語が分かりました。僕が中国語を話すので少し警戒したのかもしれません。彼女は「日本人が中国語を話すのか!?本当はどこの人だ?」と僕を疑います。彼女は「あなたの中国語は上手。私は香港から日本に来て3年になるけれどまだあなたより下手」と言いました。 

 振り返ってみるとさっきと同じように暗い街角で佇む彼女の背中がありました。彼女はなぜこんな淋しい田舎街で暮らしているのだろうかと僕は考えてしまいました。
 
 その一方で10月まで1年半を過ごした中国は昆明。街には日常的に痰やうんこが落ちているし、人々の礼儀はない、薄汚れた浮浪者はいるしで、混沌としていて「もう救いようがない」と憤りを覚えるぐらいでした。でもそこには確かに人々の息遣いがここそこらにありました。「ウザイ」ぐらいの活気がありました。

 人の生活感を消し去った清潔な日本。人々の活気すら街並から神経質に「消毒」されてしまっているかのようです。この街の淋しさは、人の少なさだけでなく、人々の生活を感じられない無機質な街づくりが原因のひとつではないかと感じています。

 来週はいよいよ上海です。ただ単に僕は、人の活気があふれる場所で暮らしたいだけなのかもしれません。